2010年01月19日
5.東京の長崎探訪ルポルタージュ
私たちは、実際に東京の長崎に触れてみた。一度は長崎神社の秋の大祭見物。そしてもう一度は、東京の長崎に、九州の長崎出身の大将がやっている洒落た居酒屋があると聞きつけ、有志でその居酒屋で酒を飲み、語らった。以下は、写真で綴る簡単なルポルタージュである。
(1)長崎神社:秋の大祭
われわれは、秋晴れの空のもとカメラ片手に豊島区の「長崎神社」の大祭へ向かった。
長崎神社の界隈は、江戸時代に武州豊島群長崎村と呼ばれていた場所だ。大祭の中に吸収の長崎とのつながりを見つけることができるだろうか。期待に胸をふくらませながらまずは、椎名町駅前に降り立った。すると、駅前の交番前の住所表示が「長崎1丁目1-1」となっている。どうやらこの交番が東京の長崎の原点であるらしい。

椎名町駅前の交番。

交番の外壁の住所表示。長崎1丁目1番地1号、とある。
続いて、東京の長崎の街中を探訪してみた。まずは椎名町駅前の商店街。すずらん通り商店街とあるが、ここが九州の長崎で言えば浜の町にあたる地域NO.1の商店街。規模も客層もかなり違うが、それなりの人通りだ。


写真は、長崎で言えば「浜ん町」にあたるすずらん通りアーケード。
庶民的な風情が漂う商店街だ。
商店街を抜けて、住宅地を散策してみる。これといった特徴はない、どこにでもある閑静な住宅地が続く。そんな中、東京の長崎の由来を開設したガイド板を発見した。この地がかつては農村地帯であったことは、上述したとおりだが、大正から昭和にかけては、若き芸術家たちが集う芸術の町でもあったようだ。そういえば、昭和の高度成長期の少年、少女たちに大きな影響を与えた著名な漫画家たち(手塚治虫や赤塚不二夫、石森章太郎など)が生活を共にしつつ、制作活動を行っていたトキワ荘も、かつてこの地にあった。そう思いながらこの町をあるいていると、小学校の門までが芸術的に感じられる。

東京の長崎の由来を解説したガイド板。

長崎小学校の門。長崎とデザインされており、ちょっとした芸術だ。
さて、いよいよお祭りの街に繰り出してみる。街は、年に1度のお祭りとあってまるで「おくんち」のような賑わいだ。
よく長崎のおくんちで、大波止の屋台で売られているハシマキ(割り箸にお好み焼きを巻いたもの)は、見当たらなかったが、かき氷、ケバブ、人形焼や射的遊び、金魚釣りなど色んな屋台が軒を連ねていた。九州の長崎ではあまり見かけない鮎の塩焼きの屋台も発見!美味しそうな香ばしいかおりが立ちこめていた。

写真は長崎神社境内の風景。

鮎の塩焼きの屋台。

屋台で売られていたあんず飴。
カラフルな色合いで思わず楽しくなってしまう。
幸運にも神社にいらっしゃった田中宮司に話を伺うことができた。
長崎神社は、もともとは「氷川神社」と呼ばれたが明治7年に今の名前に改称されたらしい。ということは、諏訪神社との関係はないということになる。また、東京の長崎と九州の長崎とのかかわりは、はっきりとはわからないとのお話であった。

写真上:宮司を囲んで。
秋の大祭のハイライトは、この地域の各町内から出される神輿だ。街中が熱気ムンムンになる。長崎くんちの、練習を重ねた緊張感と充実感溢れる船、踊りなどの奉納もいいが、東京の長崎の、町内での手作り感溢れる神輿の奉納も微笑ましくて味がある。「思わず、追っかけをしてしまったが、追っかけはコッコデショ以来だったような気もする」(前田)。
神輿の様子。地域内の各町の神輿が街中、アーケードなどを練り歩く。
き疲れた所でこの旧長崎村界隈に中華料理店を発見。なんとメニューに「ちゃんぽん」があったので、早速、注文して食べることに。さて、そのお味は・・・?歩きつかれて空腹だったので、美味しく頂いたが、東京の長崎のちゃんぽんは九州のそれとは全く違うものであった。もちろん、別の店では別の味なのだろうが・・・。
われわれの東京の長崎探訪は、こうしてちゃんぽんで幕を閉じた。

東京の長崎の「ちゃんぽん」。味も見た目も、あんかけラーメンだった。
(2)長崎出身の大将がいる居酒屋
年末には、東京の長崎で長崎出身の大将がやっている居酒屋があると聞きつけ、在京長崎応援団有志がそこに集まった。しかも、前述の「長崎寄席」を主催されているSさんにも飛び入り参加してもらうことになった。

Sさんと大将を囲んでの在京長崎応援団有志。
さて、この店、居酒屋というよりも小料理屋とか、割烹に近い味。東京の長崎にもこんなに洒落た店があるとは!しかも、長崎出身の大将の店だけあって、メニューには「かまぼこ」ではなく「かんぼこ」と書かれていた。
メンバーは、美味しい料理に麦焼酎が加わり、さらにSさんの長崎寄席の話や、長崎に絡む様々な話を語らううちに、あっという間時間が過ぎて、気がつけば終電ギリギリの時刻になっていた。さすが、長崎フリークはのぼせもんが多い!
上の二つの写真は、名物料理の「あんかけチャーメン」(左)と「あんかけバクダン」(右)。
あんかけチャーメンは、長崎の皿うどんをヒントに作られたこの店ならではの逸品。皿うどんで使うバリバリした揚げ細麺に和風だしのあんがかかり、さっぱりしていた。
あんかけバクダンは、ボール状に揚げた酢飯をくずしながら食べる珍しいメニュー。香ばしくて美味しかった。
(1)長崎神社:秋の大祭
われわれは、秋晴れの空のもとカメラ片手に豊島区の「長崎神社」の大祭へ向かった。
長崎神社の界隈は、江戸時代に武州豊島群長崎村と呼ばれていた場所だ。大祭の中に吸収の長崎とのつながりを見つけることができるだろうか。期待に胸をふくらませながらまずは、椎名町駅前に降り立った。すると、駅前の交番前の住所表示が「長崎1丁目1-1」となっている。どうやらこの交番が東京の長崎の原点であるらしい。

椎名町駅前の交番。

交番の外壁の住所表示。長崎1丁目1番地1号、とある。
続いて、東京の長崎の街中を探訪してみた。まずは椎名町駅前の商店街。すずらん通り商店街とあるが、ここが九州の長崎で言えば浜の町にあたる地域NO.1の商店街。規模も客層もかなり違うが、それなりの人通りだ。


写真は、長崎で言えば「浜ん町」にあたるすずらん通りアーケード。
庶民的な風情が漂う商店街だ。
商店街を抜けて、住宅地を散策してみる。これといった特徴はない、どこにでもある閑静な住宅地が続く。そんな中、東京の長崎の由来を開設したガイド板を発見した。この地がかつては農村地帯であったことは、上述したとおりだが、大正から昭和にかけては、若き芸術家たちが集う芸術の町でもあったようだ。そういえば、昭和の高度成長期の少年、少女たちに大きな影響を与えた著名な漫画家たち(手塚治虫や赤塚不二夫、石森章太郎など)が生活を共にしつつ、制作活動を行っていたトキワ荘も、かつてこの地にあった。そう思いながらこの町をあるいていると、小学校の門までが芸術的に感じられる。

東京の長崎の由来を解説したガイド板。

長崎小学校の門。長崎とデザインされており、ちょっとした芸術だ。
さて、いよいよお祭りの街に繰り出してみる。街は、年に1度のお祭りとあってまるで「おくんち」のような賑わいだ。
よく長崎のおくんちで、大波止の屋台で売られているハシマキ(割り箸にお好み焼きを巻いたもの)は、見当たらなかったが、かき氷、ケバブ、人形焼や射的遊び、金魚釣りなど色んな屋台が軒を連ねていた。九州の長崎ではあまり見かけない鮎の塩焼きの屋台も発見!美味しそうな香ばしいかおりが立ちこめていた。

写真は長崎神社境内の風景。

鮎の塩焼きの屋台。

屋台で売られていたあんず飴。
カラフルな色合いで思わず楽しくなってしまう。
幸運にも神社にいらっしゃった田中宮司に話を伺うことができた。
長崎神社は、もともとは「氷川神社」と呼ばれたが明治7年に今の名前に改称されたらしい。ということは、諏訪神社との関係はないということになる。また、東京の長崎と九州の長崎とのかかわりは、はっきりとはわからないとのお話であった。

写真上:宮司を囲んで。
秋の大祭のハイライトは、この地域の各町内から出される神輿だ。街中が熱気ムンムンになる。長崎くんちの、練習を重ねた緊張感と充実感溢れる船、踊りなどの奉納もいいが、東京の長崎の、町内での手作り感溢れる神輿の奉納も微笑ましくて味がある。「思わず、追っかけをしてしまったが、追っかけはコッコデショ以来だったような気もする」(前田)。
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神輿の様子。地域内の各町の神輿が街中、アーケードなどを練り歩く。
き疲れた所でこの旧長崎村界隈に中華料理店を発見。なんとメニューに「ちゃんぽん」があったので、早速、注文して食べることに。さて、そのお味は・・・?歩きつかれて空腹だったので、美味しく頂いたが、東京の長崎のちゃんぽんは九州のそれとは全く違うものであった。もちろん、別の店では別の味なのだろうが・・・。
われわれの東京の長崎探訪は、こうしてちゃんぽんで幕を閉じた。

東京の長崎の「ちゃんぽん」。味も見た目も、あんかけラーメンだった。
(2)長崎出身の大将がいる居酒屋
年末には、東京の長崎で長崎出身の大将がやっている居酒屋があると聞きつけ、在京長崎応援団有志がそこに集まった。しかも、前述の「長崎寄席」を主催されているSさんにも飛び入り参加してもらうことになった。

Sさんと大将を囲んでの在京長崎応援団有志。
さて、この店、居酒屋というよりも小料理屋とか、割烹に近い味。東京の長崎にもこんなに洒落た店があるとは!しかも、長崎出身の大将の店だけあって、メニューには「かまぼこ」ではなく「かんぼこ」と書かれていた。
メンバーは、美味しい料理に麦焼酎が加わり、さらにSさんの長崎寄席の話や、長崎に絡む様々な話を語らううちに、あっという間時間が過ぎて、気がつけば終電ギリギリの時刻になっていた。さすが、長崎フリークはのぼせもんが多い!
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上の二つの写真は、名物料理の「あんかけチャーメン」(左)と「あんかけバクダン」(右)。
あんかけチャーメンは、長崎の皿うどんをヒントに作られたこの店ならではの逸品。皿うどんで使うバリバリした揚げ細麺に和風だしのあんがかかり、さっぱりしていた。
あんかけバクダンは、ボール状に揚げた酢飯をくずしながら食べる珍しいメニュー。香ばしくて美味しかった。
Posted by 在京長崎応援団塾 at 02:17│Comments(0)
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